ふぉーかもダイアリー

主にキャリア

ブログの海から幸せの集まった無限の海へ

特別お題「わたしがブログを書く理由

「福寿海無量(ふくじゅかいむりょう)」

幸せの集まった無限の海

 閑古錐、古くなって先が丸くなってしまった「きり」。使い込まれたきりは、その胴も黒光りをし、何ともいえない風格が備わっています。私も長年使い込まれたきりのような年代に達してきましたので、セカンドライフとしてブログを残すということを考えおります。その思いの始まりとしましては、五十音の終わりは「をん」です。で、今までの恩をどのようにして返して行くかと考えたとき、私がキャリア教育講演活動で話している内容をブログに公開することで、一人でも多くの方に読んで頂き参考にしてもらればという思い。そして、日本の若年層の死因の第一位は自殺です。こんなことはあってはならないことだと思います。生老病死ではない死に方が第一位とは信じられない、という思いに駆られまして、何か出来ないかと思っても何もできません。で、そういったことから、いろんな思いの方々に何かしら僅かでも届いてほしいとの考えの二つからの始まりです。雨洗風磨、人生を生きていれば多かれ少なかれ、辛い経験はあるものです。雨や風にさらされるこよによって心が洗い清められ、磨かれるという意味です。ですので、建物から一歩外に出れば、雨風にさらされます。ですので、外へ出て成長して行かなければなりません。私自身、約45年のビジネスマンとしての経験から抜き出せることがあればそれを抜き出して記事にして行きます。しかしながら、心不可得、過去・現在・未来において、心は得ることが出来ない、よって、無心である。と言われてます。柳緑花紅、ということから、物事は自然のままで、柳は緑色をなすように、花は紅色に咲くように、この世のものは種々様々に異なっており、それぞれに自然の理が備わっているという意味です。一雨潤千山、自然としての雨。日照りが続いて乾ききった山々に一雨降って、草木が生命力を取り戻すということです。千年は実社会を示しています。よって、雨は慈悲と捉えればよいかと思います。つまり、相手の利を一番に考えなければならないということです。ということから、平常心是道、「いつもの心」が道である。ふだんの当たり前の心が平常心。寒ければ衣を重ね、腹がへったら飯を食い、くたびれたら眠る。この平常心のほかに別の道はないと言われてます。福寿海無量、こうして、ふくじゅかいむりょうに到達しました。実社会の雨風を耐えて成長して行かねばならい。それには、無心でなければならい。次に自然の理を備えて、その力を借りる。そして、相手の利を一番に考えられる。このようなことからいつもの心によって、幸せをもたらす功徳の量が海のように広大となる。心がけ次第で、見方次第で福でいっぱいの海になりうる。このようなことに繋がるような内容を記事とし、福寿海無量に少しでも近づく社会の実現を祈念するような思いでブログを書き続けて行きます。