ふぉーかもダイアリー

主にキャリア

悪い結果でも否定から入るのではなく、行った行為の肯定から入る

「結果自然成(けっかじねんになる)」

結果は保証されているのもではない

 いい結果、悪い結果、どちらも過去の結果です。それを受け入れなければなりません。いい結果は抵抗なく受け入れられますね。しかし、良かったと終わってませんか。次が始まってますし次に繋げていかなければなりません。良かったしで終わってしまえばその結果はただの一つの過去の結果で終わります。成功体験として残してゆかなければなりません。悪い結果、まずは受け入れる。大事なのは、結果が悪いことの否定から入るのではなく、行った行為の肯定から入る、このことが受け入れになるのです。そして、その結果を基に改善して行き、上手くゆく方策を見つけようとトライして努力を重ねて次に繋がるように取り組みを継続してゆくこと、この諦めない思いが大事なのです。このようにして、良い結果に繋がったとき、過去の悪い結果がいい結果の変わったということになるのです。あのときこうなったから、今があるというふうに思えるはずです。過去の上手くいかなかった結果が糧になり改善されて良い結果に繋がったいうことになります。過去を振りかえったとき、思い出されるのは辛かったこと、大変だったことばかりが思い出されるはずです。上手くいかなかったことは全て将来の糧になります。結果を心配して挑戦を躊躇しないで、前に進んでください。最初から100点は無理です。50点でも60点でもトライしてゆくことが大事で積み重ねにより100点に繋げてゆけばいいのです。さあ、始めましょう。

手を抜くのではなく、力を抜いて楽しい方を選べばいいのです

「白雲無根(はくうんはこんなし)」

変化しつづける雲のようにこだわりなく

 雲の向こうには必ず青空があります。雲は絶え間なく動いて流れていますが、空はそのままあり続けます。雲はどんどん移り変わって、青天の日にはなくなってしまいますが、すぐまた現れます。硬直的な生き方や考え方に対して、大胆な変化をよしとするということです。雲は刻々と変化しても、また現れるし、空は空であり続ける。狭い世界の因習、人間関係、思いこみに捕らわれることはない。あなたはあなたであり続ける、また変化してゆく方が自然なのです。そんなふうに、見方が変われば自分が変わる、そして見方が変われば世界が変わる。それから、正しい人から楽しい人へ。他人と比べる人生はつまらないと思います、自分が一番じゃないとつまらないと思っている人生もつまらないと思います。ですので、手を抜くのではなく、力を抜いて、楽しい方を選べばいいのです。人は人に喜ばれるように生きて行くことで人と人の間、人間と言えるのです。幸せを感じられるのは人に喜ばれた時です、人に喜ばれると本当に嬉しいです。それから、感謝する人には感謝したくなるような現象が引き寄せられます。感謝の気持ちを持つことを絶対に忘れてはなりません。大事なことは、深く考えない、浅くも考えない、思考に疲れてはいけません。肯定から入り「なんとかなる」の自然体が望ましいと思われます。

貴重な二つのご縁に驚き、桃の木、山椒の木

不思議なご縁に二度遭遇

びっくりした出会いが2件

 先日来、キャリア教育講演の説明で学校訪問を行っておりました。そこでの不思議でびっくりした出会いの話を二つします。まず一つ目、中学校に訪問し校長先生に、工業高校を出まして、約45年間製造業、ものづくりの会社に勤めてきたことによる、経験から「はたらくとは」というテーマで1時間くらいで考えている旨を資料を基に進めて、一息ついたとき、高校の先輩ですね、と言われました。一瞬工業高校卒で校長先生?という疑問が出た次の瞬間、ラグビーで優勝したときのメンバーですと言われました。もうびっくりやら、何とも言い表せない思いに駆られていました。すると、誰々さんの頃ですか?と言われたので、○○キャプテンと同じクラスで、112対0の時が一年生でしたというふうに話しまして、その後は当時の懐かしい話で盛り上がりました。そして、大学に進まれて教員になられたということで、現職の校長も納得です。いやいや、本当にびっくりで、まさかラグビーの優勝メンバーと会えるとは夢にも思いませんですので、凄いことです。もうひとつは高校訪問の時です。元々アポを頂いていた先生に急遽出張が入ったということで、代わりの先生が対応されたのです。その先生の名刺を見てびっくり。過去に息子のリトルリーグの関係で、高校野球の練習を見学に行ったことがありまして、その時の監督の先生でした。キャリア教育の説明の後、高校野球の話で盛り上がってしまいました。本当にお二人とも貴重なご縁やと思います。一つ一つのご縁を大事に感謝をも忘れず、これからの活動に活かして行きたいと改めて思いました。

「こうであらねばならない」、Mustを手放しましょう

「放下箸(ほうげじゃく)」

思い込み、執着を捨てる。放下=投げ捨てる、放り出す。箸=放下を強調

 日々の生活が窮屈。なぜ窮屈を感じてしまうのでしょうか。やはり、それは理想と現実とのズレから生じているのだと考えられています。所謂、自分の思いがどれだけ叶っているかということなのです。そして、自分の心と現実のズレが窮屈の原因なのですね。そこでちょっとしたそんな感じをお話です。一つ目、「プライド」を手放すと「自分らしさ」が手に入ります。誰にもプライドはあります。でも、それが窮屈にさせたり成長の足かせになってしまうこともあります。二つ目、「他人との比較」を手放すと「自分の人生」が手に入ります。他人と比べてなんだか自信を失ってしまうことはありませんか。大切なのは、自分がどれだけ成長してきたかを見つめ直すことなのです。三つ目、「思い込み」を捨てると「選択肢」が手に入ります。~しなければならない。みんな~って言うから。それらにとらわられず、否定的ではない方向性に向いてください。選択肢はいっぱいあります。四つ目、「当たり前」を手放すと「感謝の気持ち」が手に入ります。全てのことは、当たり前ではありませんね。周りの人達のお陰ですね。お陰さんの気持ちを忘れないでください。ここでは四つ書きましたが、他にもあると思います。やはりまずは「こうであらねばならない」というMustを手放しましょうですかね。なかなか難しことかとは思いますが、一つ一つ手放しを頑張ってください。また、自分自身で手放したいものに気づくというだけでも、大きな一歩です。手放しの実現後は本当の「あなた」が最強のパートナーとなります。

 

失敗とは、これではうまくいかないという学びである

「回向返照(えこうへんしょう)」

光を自分の内面を照らし、自分自身を省みる

 人の心は、どうしても他人や社会等々、外側ばかりに目を向けてしまいがちです。そのような意識を自分の内側に向けて、今の自分を省みようということです。なかなかこのようなことは出来ないと思います。日常の忙しさ等で意識も向かないでしょうし、方向性的に正しいと思いこんでいることもあるでしょう。そんなことから、ちょっとしたことです。一つ目、朝起きはできてますか。これは、自分が決めた時間に起きていますか、ということです。まだいい、まだいい、と遅らせていませんか。こういうことは物事の先送りに繋がります。自分の決めた時間に起きるようにしましょう。二つ目、挨拶は自分からできてますか。挨拶はコミニュケーションの基本です。後輩であろうと、部下であろうと、自分からするようにしましょう。三つ目、説明は結論からが大事です。結論からするようにしましょう。話がだらだらとしているように思われます。四つ目、真似は悪いことと思っていませんか。人間の行動からみると、真似がうまいことは、良いとされる場合の方が多いのです。「守破離」という言葉があります。守は現状の教えを真似ることで成長に繋げる。破は他のやり方等をも取り入れ良いものを見出す。離はいろんな事柄から検討して自分なりのものを構築する。そして五つ目、行動は今から。躊躇せず、やりたいこと、やるべきこと、やってみよう。自分の内面を省みて失敗を恐れずトライしてください。失敗とは、これではうまくいかないという学びです。

今までの積み重ねは何ひとつ無駄はない、良い心から出ていれば

「因果応報(いんがおうほう)」

全ては自分に返ってくる

 「ふだんから悪いことをしていたから、バチが当たったんだ」という言い方をすると思います。これは、悪い方ばかりに当てはめていますが、良い結果の方にも当てはまることなのです。良いも悪いも、自分が受ける結果の全ては自分が作っているということなのです。人に優しさを持って接すれば、必ず誰かから優しくされるでしょうし、嫌なことをされたり、言われたりされても気にせず放っておいてください。必ず相手に返ってゆきます。ですので、誰かの悪口を言えば何倍にもなって自分に返ってきます、気をつけましょう。また、人に分け与えたものは、巡り巡ってまた自分の元に返ってきます。そんなことから、憎めば憎まれ、恨めば恨まれる。裏切れば裏切られ、嫌えば嫌われる。怒れば怒られ、貶せば貶される。でもでも、優しくすれば優しくされ、大切にすれば大切にされる。想えば想われ、好きでいれば好かれる。このように、良いことも悪いことも全て自分に返ってきます。そう思うとやはり、人に喜んでもらうことをすると、自分にも喜びが返ってきますということから、今がんばっていること、苦労していることが、良い心から出ているもの、この良い心からがポイントなのです。純粋に良い心からなら、決して無駄なことはひとつもありません。必ず積み重なり、「人間性」「信頼」といったかけがえのない結果に繋がります。

履物は揃えて脱ごう、乱れていたら揃えよう、心が落ち着きます

「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」

自己を究明する。自己を見失わない。

 足下を見なさい、履物をそろえましょう、ということなのですが、しかし真意はもっと深いところにあります。脚下とは自分の足下。自分の足下を顧みるとは、わが身やわが心を振り返り、よく見極めるということです。私たちは日々次から次へと様々なことに流されて、もの事を静かに見つめる機会があまりありません。そんなことからのちょっとした見つめ方です。何かをしようとしたとき、そのことについて周りはどう思うかで選んでいませんか。選び方はどう思われるかではなく、どうしたいかです。そして、それらをやろうとしたとき、正しいかどうかを気にしてしまうのです。正しいかどうかではなく、やりたいかどうかで選んでください。次にないものばかりに気がいってませんか。ないものばかり気にするのではなく、今あるものに、ありがとう、お陰さまと感謝してください。そして、他人の機嫌を取るようなことになっていませんか。自分の機嫌を取るようにしてください。言い換えますと、人に頼るという手段を選ぶ。自分がその人の助けが必要だと気づき、主体的に、積極的に人に頼ることを選択するということなのです。このことが、自分自身で自分の機嫌を取るということです。出来ることは自分自身で一生懸命、出来ないことは助けてもらって一生懸命、これが基本です。心にゆとりが出来れば自分自身もよく見えてくると思います。履物はそろえて脱ごう、心が落ち着く。履物が乱れていたら、そっとそろえておこう、みんなの心が落ち着きます。